世界的に投資額減って培養肉に逆風?
韓国は特区設置で開発に弾み
年の瀬も押し詰まってきました。細胞性食品(培養肉など)について1年を振り返ってみると、米国の一部の州や欧州の一部の国で禁止令が検討されるなどして、実用化にブレーキがかかったように感じる面がありました。世界的に見ても、投資額は減っています。一方、身近で大きな一歩前進がありました。お隣、韓国の慶尚北道が2024年5月、中小企業・新興企業省(MSS)の承認を得て、規制フリーゾーン「慶北細胞培養食品規制免除特区(RSFZ)」を設置したのです。特区によって、より柔軟な規制環境が提供され、それがイノベーションを促進し、細胞性食品開発が加速されることに期待がかかります。今回は、その韓国の規制状況についてまとめます。
2024年5月、韓国に培養肉特区誕生
韓国では2022年5月、食品医薬品安全処(MFDS:米FDAに相当)が食品衛生法を改正し、細胞性食品などの新規食品を同法の「暫定(規格)基準」に含めました。これによって韓国における細胞性食品の認可にかかわる規制の枠組みが初めて明確化されたとしています。
続いて同年8月、韓国政府は国家計画に培養肉のガイドラインを盛り込むことを発表。食品医薬品分野の革新的な製品開発、迅速な市場参入、グローバル競争力の構築を目指し、国が強化支援する事業に、新たに細胞性食品も含まれることになったのです。10月には暫定基準に基づく細胞性食品の申請書類作成のための公式ガイダンス(細胞の調達元、製造工程、安全性に関するデータなど申請書類の詳細な要件)を作成し、世界貿易機関(WTO)に通知しました。
2023年はさらに産業化への取り組みが加速し、2月には、韓国28の主要な業界関係者が韓国の細胞性食品産業を前進させるための基本合意書(MOU)を締結。そして3月、韓国発の細胞性食品産業も拠点となる慶尚北道細胞農業産業支援センターを開設しました。11月には、MFDSが培養肉と伝統的な動物性食品との混同を避けるため、「牛肉」「豚肉」「牛乳」「卵」といった名称の使用を禁止する、表示についてのガイダンスを発表しました。
2024年は2月、「食品等の暫定基準及び規格認定基準」を改正・公示。同基準は、認定を受けるための提出資料の要件として、原材料の特性、製造方法、細胞に関する資料、開発経緯、国内・海外の使用状況、安全性に関する資料などを規定しています。そして、5月のRSFZ創設につながりました。
特区には約4年半で約20億円の投資
それではこの特区、RSFZについて詳しく見ていきましょう。目的は4つあります。①未来の食料不足や家畜伝染病の拡大などによる食料危機に対応する②高品質な培養肉の流通に不可欠な新鮮な細胞供給システムを特区における規制緩和で実証する③慶尚北道義城郡を中心とした北部圏フードテック産業ベルト構想の一環で、地域産業の新たな革新成長を目指す④「培養肉という新市場を開拓」し、「培養肉の世界基準確立による国際標準の先取り、雇用創出、競争力強化」を目指す――というものです。慶尚北道の李哲宇知事も2024年5月の発表で、「細胞培養食品特区の指定は、フードテック業界の転換点となる歴史的な第一歩となる」と、期待を込めました。
特区には、2024年6月から2028年12月までの4年7カ月間、総事業費として199億ウォン(1ウォン0.11円の換算で約19億9000万円)が投資されます。特区への参加企業は、慶尚北道テクノパーク、ラートバイオ、ダナグリーン、Seawith、マイクロデジタル、Tissen Biofarm、SSBiofarm、動物細胞実証支援センター、MyNew、LMKの10社。いずれも、細胞性食品の研究、開発、生産の様々な面で積極的に関与している企業です。
培養肉の生産では高品質の細胞を入手することが不可欠となりますが、韓国の現規制下で入手可能な細胞は多くの場合冷凍され、加工までにかなりの時間が経過しているため、細胞の生存率が低下して、培養が上手く進みません。そこで特区では2つの規制緩和を導入し、細胞培養の効率化を目指していきます。
1つは、生きた動物からの細胞抽出が許可されることです。韓国の動物保護法第10条では、生きた動物に対する実験は厳しく禁止されており、細胞培養に必要な細胞を生きた動物から取り出すことができなかったため、培養肉の研究では大きな課題でした。しかし、これが緩和されることで得られる細胞の品質は大幅に向上すると期待されます。
もう1つは、格付け前の筋肉組織の取り出しが許可されること。韓国の畜産業法第35条では、家畜は屠畜場で処理された後、出荷される前に24時間冷凍し、格付けしなければならないと規定されています。つまり、屠畜したばかりの肉から細胞を取り出すことができません。そこで特区では、培養肉の生産を目的とした牛肉は標準的な格付け手順を経ずに屠畜場から直接取り出すことができるよう規制を緩和したのです。これで、細胞が可能な限り新鮮な肉から抽出され、細胞培養の生存率と効率がさらに向上することになりました。
特区で行われる実証プロジェクトも2つあります。まずは、動物由来細胞の管理と供給を行う「食用動物由来細胞利用実証プロジェクト」。スマート畜舎、細胞バンク、その構築に必要な設備と運用ガイドライン、細胞配布の手順などの開発に取り組みます。これにより、培養肉生産のための安定した供給体制が実現します。
2つ目は「細胞培養食品の量産実証プロジェクト」です。実用化には量産が欠かせません。そのために、安全性評価、商業化のための安全性管理措置、生産、3Dバイオプリンティングベースの製品開発、効率的な細胞培養モジュールの開発などを行って、量産の実現を目指します。
培養肉のおいしさは試食で検証
このように韓国に特区が成立したことで、開発に伴う試食も可能となったようです。「現在培養肉および関連製品の試食に関する具体的な規制はないが、開発中の培養肉製品は販売を目的としたものではないため、試食会で培養肉製品を使用することは問題ないと思われる」と韓国の食の規制に関係する専門家もこう明かしています。
そこで、細胞農業研究機構代表理事の吉富愛望アビガイルさんが2024年7月、韓国を訪問、特区の状況を視察し、培養肉を試食してきたそうです。次に紹介しましょう。
吉富さんが試食したのは、Seawithの培養肉料理。同社は、藻類由来の成長因子の開発や、細胞性食品のためのバイオリアクターの開発、コストダウン能力、プライマリー細胞由来などを強みとしています。また、韓国の細胞性食品企業の中でも生産性が高いことを強調しています。つくねなどの試食品の細胞割合は50%。2~3週間で作製したとのこと。栄養面では、不飽和脂肪酸は従来肉と比較して7割減、たんぱく質は2倍あります。
現在の生産量は、50Lのバイオリアクターで1カ月20kg以上の生産が可能。今後500Lのバイオリアクターに移行し、1カ月で300kgの生産を目指すといいます。最終的には2万Lのバイオリアクターで1年で1000tを生産し、月額100億ウォン(1ウォン0.11円の換算で11億円)の売り上げを目指すそうです。
そのSeawithのつくねの味はといえば、「牛肉の味を最も強く感じられた。台湾土産の、しょうゆと砂糖で甘辛く味付けしたビーフジャーキーのような味だった」と吉富さん。触感は少し硬めの植物性代替ひき肉か、固めのキノコの印象だったとか。中には、つくねでは牛肉の味が感じられなかったとの声もありましたが、甘辛の味付けがきつかったせいかもしれません。
また、韓国ならではのコチュジャン味の培養肉も試食したそうです。「味噌系のたれが植物性の素材の味を打ち消したからなのかわかりませんが非常においしく、違和感がありませんでした。同行者の1人は『肉みそにして売ったらどうか』と提案し、試食後もそのおいしさがたびたび話題に挙がったほどです」と吉富さんは報告してくれました。
既に培養肉の販売に踏み切った米国では、今現在販売は一時中断しているようです。一方、世界で初めて培養肉を販売したシンガポールでは、3社目としてVOW社に販売許可が下りました。「スーパーなどでの小売りも増えて、培養肉が社会に浸透してきたという印象を持ちました」(吉富さん)とのこと。世界的には投資額も一時より減って逆風下にある細胞性食品の開発ですが、韓国では特区が設置されたことで、細胞性食品の開発に弾みがかかり、食品開発に不可欠な試食ができる体制も整いました。開発の進展、ルール制定、実用化を目指す日本が参考にすべき点が多々ありそうです。
ジャーナリスト 中野栄子
東京都出身。慶應義塾大学文学部心理学科卒。日経BP社「Biotechnology Japan」副編集長、「日経レストラン」副編集長、「FoodScience」発行責任者、日本経済新聞社「NIKKEISTYLEグルメクラブ」編集長などを経て、現在フリーで食・健康・環境分野を取材・執筆中