香港、世界3番目に培養肉販売許可
消費者の正しい理解が実用化のカギ?
前回は2024年を振り返り、世界の培養肉開発にややブレーキがかかったと書きましたが、ささやかな進展もありました。香港で11月、培養肉製品の販売許可が下りたのです。世界では、シンガポール、米国に次いで3番目となります(イスラエルは安全性が確認されているものの、販売許可はまだです)。こうして実用化が進むことで、消費者の認知や理解も少しずつ高まっていきます。今回は、香港の培養肉製品の販売許可の経緯と、消費者動向についてまとめます。
豪州Vow社がシンガポールに続き香港で販売
2024年11月、香港で培養肉の販売許可が下りたのは、オーストラリア・シドニーを拠点とするスタートアップ、Vow。同社は同年4月にシンガポール食品庁から培養肉製品(細胞性ウズラ肉)「Forged Parfait」の販売許可を得たのに続いて、香港の食品安全センター(CFS)から培養肉製品の販売許可を得ました。
香港での食品安全規制は、食品環境衛生局(FEHD)の管轄下のCFSが所管しています。CFSは培養肉の安全性評価のガイドラインを規定しており、Vowはこれらの要件を満たしたというわけです。CFSがVowの培養肉製品販売を許可したのは「すでにシンガポール食品庁から安全基準を満たしていると承認されたことが幸いしたのでは」とVowの共同創設者兼CEOのGeorge Peppou氏は推測します。
というのも、シンガポールは2020年に培養肉の販売にゴーサインを出した最初の国で、その規制の枠組みに世界中の培養肉開発関係者が注視しているからです。シンガポールで承認されれば、次の地域での承認がより早く実現するともささやかれているようです。
実際、Peppou氏は2019年にVowを設立して以来、効率的な生産システムを運用し、承認までに8年かかったUpside Foodsなどの同業他社よりも早く規制当局の認可を得ました。投資金額にも比例し、Upside Foodsが投じた6億800万ドル(1ドル158円の換算で約960億6400万円)よりもはるかに低い5600万ドル(同、約88億4800万円)の投資でこれを達成したと一部のメディアが報じています。
Vowは、Food Standards Australia New Zealand(FSANZ:ニュージーランド食品基準機関)への申請も進めており、細胞性ウズラ肉の安全性について問題がないことの手ごたえを感じているようです。これも、シンガポールや香港で販売許可を得たことが好影響を与えたといえるのでしょう。
香港オリエンタルホテルで培養フォワグラ
Vowが香港で販売許可を得たのは、すでにシンガポールで許可を得ている「Forged Parfait」と、フォワグラに着想を得て細胞性ウズラ肉を使用して開発した培養肉の新製品「Forged Gras」(細胞性フォワグラ)です。「Forged Gras」の51%は細胞性ウズラ肉でできており、そのほかは野菜とハーブを注入した水素添加ココナツオイル、ヒマワリ油、ソラマメのたんばく質、こんにゃくなどで作られています。それをVowは、オリエンタルホテル内の高級バー「The Aubrey」で、デビューさせました。
高級バーで提供される「Forged Parfait」は「スモークの中で提供され、ブリオッシュとピクルスに加えて、クエント、ユズ、チャイブをトッピングした香港限定の料理になっている」とVowのPeppou氏は説明しています。料理の価格は388香港ドル(1香港ドル20.19円の換算で約7834円)で、キャビア追加が198香港ドル(同、約3998円)とのことです。
世界的な著名ホテルの高級バーで提供される料理としては、ありえる価格と言えるでしょう。ちなみに、「Forged Parfait」に合わせた限定版カクテル(細胞性ではない)も用意され、価格は170香港ドル(同、約3432円)といいますから、細胞性食品が非現実的に高価だという印象はありません。
世界的な著名ホテルの高級バーで提供される料理としては、ありえる価格と言えるでしょう。ちなみに、「Forged Parfait」に合わせた限定版カクテル(細胞性ではない)も用意され、価格は170香港ドル(同、約3432円)といいますから、細胞性食品が非現実的に高価だという印象はありません。
Vowは「Forged Gras」の発売を記念して、米国ニューヨークの三つ星レストラン「MASA」のシェフ、Masa Takayama氏にも、「Forged Gras」を使ったメニュー開発を依頼しました。米国での許可は得ていないため米国市場での販売はなりませんが、有名レストランの有名シェフが手掛けたメニューということで、実際に販売する香港やシンガポール以外からも、支持や理解を得ることにつながるのでは、というVowの目論見が垣間見えます。
ところで、フォワグラの状況については、以前この欄でも紹介したように(「欧州の培養肉開発イタリアに続き、ハンガリーでも禁止?!」 https://jaca.jp/2024/11/6241/ )、アヒルやガチョウに強制的に餌を与えて肝臓を太らせることが問題視され、動物福祉の観点から世界的に禁止する傾向が見られます。フランスでは、15の都市がフォワグラを禁止しているそうです。
高級食材のフォワグラと違い、Vowの「Forged Gras」はウズラ肉の細胞を使って培養したもの。フォワグラの味や風味をイメージしているものの、アヒルやガチョウの細胞は使っておらず、本物のフォワグラとは全くの別物です。いわば、本物のカニに対するカニかまぼこといってよいでしょう。
カニかまぼこを本物のカニだとは誰も思っておらず、「騙されてカニだと思わされていた」とは言いません。新しい食品と正しく捉え、日本の食生活の中で定着しています。「Forged Gras」も生産効率が向上し、より安価に生産できるようになれば、“フォワグラかまぼこ”として、新たな食品になる可能性は十分あると思います。VowのPeppou氏も「シェフや消費者がすでに知っているものを高価に複製するのではなく、ほかのものとは意図的に異なる何かを提供する」と言っています。
香港市民の96%が培養肉に好意的は本当?
さて、Vowが香港で培養肉製品上を上市するに当たり、香港市民の96%が細胞性食品を試すことに興味を持っているという調査結果が、併せて紹介されました。この調査は2021年にシンガポールのフードテック企業、Shiok Meats (現在はUmami Bioworks に吸収合併されている)が15歳から65歳までの市内の1209人に対して実施したものです。試してみたいという人の約半数がその動機として安全性を挙げました。次に多かった動機は持続可能性です。
このとき、Shiok Meatsは「香港の消費者は一般的に、細胞から直接培養された肉の概念にすでに精通していることが明らかになりました」と結論付けています。同調査の前のシンガポールの研究では、56%が細胞ベースの技術について事前に知識を持っていることを示し、今回の香港の調査では87%にも上ったそうです。研究では「香港市場の魅力を反映しているだけでなく、APAC(アジア太平洋)全体で細胞ベースの肉や魚介類に対する消費者の意識が高まっていることを示している可能性がある」と指摘しました。
この調査結果は、Vowの細胞性食品の香港上市の妥当性に強い説得力を持つと思いますが、改めて「香港市民の培養肉支持率96%」を検証すべきだと考えます。というのも、筆者がこれまで取材してきた中で、調査条件によって回答が全く変わるということを何度も経験してきたからです。
例えば、日本の食品安全委員会が創設時から食の安全への意識調査を実施しており、経年変化で見ると遺伝子組み換え食品などフードテックに対する拒否感が徐々に下がっていることが分かります。しかし、調査対象となっているのは、食の安全に興味を持つ元食品企業勤務者や元保健所勤務者、消費者団体関係者などの“一般消費者”が応募して選ばれた消費者モニターで、食の問題に高い意識と専門知識を持つ人たちです。ほかの調査もこのようなものを多く目にします。企業が実施する調査になると、“欲しい結果”を逆算する形で質問票を作ることも稀ではありません。国としては国民全体の正しい理解を深めることが目的ですが、それが達成できるのかはなはだ疑問です。
一般消費者といかにコミュニケーションできるか
よくある調査は、農業高校へフードテックについての出前授業に行き、授業前にフードテックについての認知度をアンケートで聞き、講義終了後にアンケート調査で「このフードテックについて理解しましたか?」「このフードテックを使った食品を食べたいと思いますか?」と質問するのです。そして、「フードテックの認知度が〇%向上した」「フードテックを使った食品を食べたい人は〇%」という結論を出すのです。授業でフードテックについて教えるのですから、認知度や理解度が上がるのは当たり前ですが、調査主体者は「農業高校の生徒は一般消費者であるから、これで国民の理解度が〇%向上した、国民の〇%が食べたいとしている」と結論付けます。これはあまりに乱暴な調査と言わざるを得ません。
年末の休暇で訪れたイタリア・フィレンツェでオペラ留学している日本人女性に「2023年イタリアは世界で初めて培養肉の禁止法案が通ったのだけど、知っている?」と聞いてみました。答えは「知りません。そもそも、培養肉という言葉を初めて聞きました」「同級生のイタリア人が話しているのも聞いたことがありません。ビーガンやベジタリアンの人は日本以上にいますが」というもの。同行した日本人女性3人はいずれも科学者ではなく、食品関係者でもない、一般消費者といえる人たちで、同様の質問をしてみましたが、いずれも「初めて聞きました」。日本経済新聞には投資の観点での小さい記事は掲載されているのですが、ごく普通の消費者にとっては目に入ってはいないのです。
また、年始に来日した米ロサンゼルス在住する一般的な米国人家族5人に聞いたところ(カリフォルニア州なので全米の平均とは多少異なるかもしれませんが)、父親、母親、長女は「培養肉という言葉は初めて聞いた」という回答。エンジニアの長男は「知っているが、メリットが証明されてないので絶対食べない」、健康志向の強い次女は「聞いたことはあるが、ナチュラルではないので絶対に嫌」と答えてくれました。簡単な説明をしても、長女は「発がん性などがありそうで、嫌だ」とのことでした。
フードテックの実用化には、国民の理解が不可欠です。国民とは、特定の専門家や投資家だけではなく、そして消費者問題に取り組む専門家集団の消費者団体ではなく、多くの一般消費者のことです。そのためには、一般消費者が正しく理解できるよう、情報提供に努めなければなりません。安全性や持続可能性はもちろん、一般消費者にとって具体的な価値(メリット)を示す必要があります。それも、誰にでも分かりやすく。香港のケースは、著名なホテルやシェフのブランド力に乗せて細胞性食品の情報を発信したことで、より多くの一般消費者に届いたと思いたいものです。
ジャーナリスト 中野栄子
東京都出身。慶應義塾大学文学部心理学科卒。日経BP社「Biotechnology Japan」副編集長、「日経レストラン」副編集長、「FoodScience」発行責任者、日本経済新聞社「NIKKEISTYLEグルメクラブ」編集長などを経て、現在フリーで食・健康・環境分野を取材・執筆中